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嵩山観音群TakeyamaKannnongun

    戦国時代、斉藤城虎丸(じょうこまる:18歳)を城主として守られていた嵩山城は、永禄8年(1565年)に、武田信玄方の上田城主真田幸隆(幸村の祖父)に攻められ落城。 これから約140年後の元禄15年(1702年)に、嵩山合戦の犠牲者を供養するために、五反田に住み着いていた江戸の僧・空閑(くうかん)と地域の人々を中心に、坂東三十三番の観音像が建立されました。さらに10年後には、秩父三十四番、西国三十三番を建て、嵩山百体観音となりました。